千葉の海苔づくり
千葉県の海苔づくりは1821年、江戸の海苔商人近江屋甚兵衛によって始められました。今では数少なくなった干潟が海苔づくりに適していることから、干潟の広がっていた千葉の東京湾全域に広がりました。
市川の行徳、南行徳では、江戸幕府・明治政府が塩づくりを奨励していたため、作ることができず、隣の浦安、船橋よりも後に始まりました。明治24年から浦安、船橋から漁区を借りて海苔づくりが始まり、海苔を作る漁業権(海苔養殖業)を得られたのは昭和25年のことです。
東京湾の埋め立ての始まる昭和30年以前には、東京湾の千葉県一体で海苔づくりが行われていましたが、今では市川の近辺では、船橋市だけとなっています。
海苔づくりの方法
市川市では塩浜前面の海、494ha(東京ドーム380個分)を使って海苔づくりが行われています。
海苔は塩の満ち引きのある浅い場所で作られます。海苔の漁場では、竹竿で作った支柱柵に取り付けられた海苔アミが、潮の干満の差によって海面から出て、空気中にさらされることが良いとされています。市川では2mより浅い場所が広がっていたので、支柱柵による海苔づくりが盛んになりました。
現在では、アミが空気中にさらされることなく、海面に常に浮かした状態で作られる半ベタ・ベタ流し漁場に生産の比重が移って来ています。この方法によって、水深の深い海での海苔づくりが可能になりました。
●海での海苔づくり(ベタ流し)
●陸上での海苔づくり
海苔の主な産地
▲のりの養殖風景
▲海苔つみ風景
▲海苔アミにのりが育っています
市川市、船橋市の小学校の総合授業などで海苔についての出張授業を行っています。
好奇心旺盛な子ども達とのりについて学んだり海苔料理を作ったりして、地域の海苔づくりと、おいしさを知ってもらおうと活動を行っています。
自分たちで作った海苔料理を食べて「のりが好きになった」「もっと知りたくなった」などの感想がとても励みになります。
▲授業ではのりまきを作って食べました
▲のりすきは、今は機械が中心になっています
▲ノリの天日干しは、海辺でよく見られた風景です